今年の8月3日、英サンデータイムズに掲載されたウィショくんのインタビューの宣伝には「ぼくがカムアウトした理由」なんていうウィショくんらしくない、センセーショナルな煽りがつけられていてファンをやきもきさせたのですが。蓋を開けてみれば、実に真摯な姿勢で行われたインタビューで、一読してほっとしたのを覚えています。とても素敵な内容だったのだけれど、なにしろ有料記事なので訳したりするわけにもいかないなあ……と指を銜えていたのですが。
インタビュアーさんが、サンデータイムズのサイト掲載時には編集されてしまっていた部分も含めた完全版をご自身のサイトに無料でアップされていたので、それならいいかな……? と翻訳してみました。長いですが、とても内容が濃くていいインタビューなので、よろしければぜひどうぞ♡

◇サンデータイムズの記事リンクはこちらです。
◇インタビュアーさんのサイト(記事リンク)はこちらです。

The Sunday Times, 3 August 2014: Whishaw Thinking

ベン・ウィショーは、あらゆる意味で謎めいている。彼は致命的なほどシャイなのだろうか、それとも愛想よく快活? ボンド映画のQのようなギークなのだろうか、それともブライト・スターでのキーツのようにおそろしく繊細? テレビシリーズ『The Hour』があんなにも突然打ち切られたりしなければ、ロモーラ・ガライが演じた役、ベルとくっついたのだろうか?
彼はゲイだろうか、それともストレート? この疑問は、しばらく人々の間をめぐっていた。ゲイだとわかったいま、それでなにかが変わったのだろうか? ベン・ウィショーは、かの世代で最高の俳優のひとりなのだろうか? まあ、これはたいして難しい問題じゃない。そのとおりだと、誰からも称賛されているのだから。

彼はハムレットを演じる、歴代でもっとも若い俳優としてオールド・ヴィックの舞台に立った。陰鬱な王子としてまばゆく輝いたとき、彼はたったの二十三歳だった。以来、彼は輝き続けている。三十三歳になったいま、がりがりのこどものように痩せていて悪戯っぽい雰囲気の彼は、より若くも見えるし、より年上のようにも見える。彼は老いた詩人のごとき英知とリズムをもって話すのだ。
映画での初主演は2006年の『パフューム』だが、むしろ2008年の『情愛と友情』でのセバスチャン・フライトや、1950年代のイギリスでエゴと陰謀が渦巻くニュース業界を舞台にし、人々を魅了した『The Hour』でのフレディなど、テレビドラマの仕事のほうで知られているかもしれない。

取材の前、私はインディーズ映画『Lilting』での彼を見たばかりだった。ボーイフレンドの死を受け入れようとしつつ、息子の死を嘆き悲しむその母親にどうやって自分たちの関係を伝えようかと悩む青年の役だ。まず、彼はボーイフレンドの遺灰を受け取るのだが、その母親とのコミュニケーション、もしくはコミュニケーションの取れなさ加減をさらにおもしろくするため、彼女は中国語しか話せない設定になっている。
映画は親密な雰囲気で、ユーモアがあり、母親と「義理の息子」が自分たちの置かれた状況の真実をようやく受け入れたときは、とてつもなく感動的だ。私は泣いた。ベッドルームに息子の匂いがする、と中国語で言う母親に、ウィショーが演じるキャラクターは「ええ、ぼくにも感じられます」と応える。
『Lilting』は微妙なニュアンスをもって、うつくしく書かれている。控えめで、抑制されている。ちょっとした発言に、大きな意味が込められている。

私たちは、北ロンドンの運河を見下ろすデッキで会った。ウィショーが撮影していた写真スタジオのすぐ外だ。猛烈に暑い日で、サングラスをしていてさえ、強烈な陽射しを避けるために何度かテーブルの周りを移動しなければならなかった。彼はリラックスした様子で座り、時折そのゆたかな黒髪をかきあげている。身につけているのは、クラシックな白いTシャツとやや光沢のある黒いジーンズ。
彼と会うにあたってさまざまなインタビューを読んだが、いずれも彼が緊張のあまりもじもじそわそわし、インタビュアーから視線を逸らす様子が描かれている。しかし、今日ここにいるのはそうした人間ではない。
ひとみの色を正確に描写したいからサングラスを外してほしい、という私のリクエストを聞き入れ、彼はサングラスを外してくれた。そしてまっすぐにその双眸を見つめることも許してくれた。そこに色はなく、同時にすべての色があった。
緑の虹彩に散る、琥珀の粒。青のなかに灰色が散り、その灰色のなかには茶色が散っている。
彼はもじもじと身じろぎしたりはしていない。彼はシャイではない。彼は、心のなかを覗き込むことを許してくれた。
その揺るぎなさ。そのひとみ。その静けさ。その魅力。彼のすべてが、猫を思わせる。「ぼくを愛して。ああでも、やっぱりいいや」とでもいうようにこちらを見つめてくる、猫を。

『Lilting』の、ボーイフレンドに先立たれたリチャード役のどこに惹かれたのかを聞いてみた。
「まず、とても完成された作品だと感じました。作品そのものが『声』を、とても強い声を持っていたんです。すごく綿密に書かれていたので、ぼくたちは一語たりともアドリブで演じたりはしませんでした」。とても自然で、まるで役者たちが自分の言葉で話しているように感じられた、と彼に伝えると「めったにないほど、感情に対して素晴らしく正直で、誠実な脚本だったので」とのことだった。
科白は英語と、字幕のつけられた中国語が使われているが、これは言葉で、もしくは言葉以外の方法で行われるコミュニケーションのメタファーとなっている。「とても意図的にそうなっています。この作品はコミュニケーションについて、また人々が互いにどのように理解しあうのか、もしくはしあえないのかについて描いていますから」。

中国人の母親は、息子がゲイであることを果たして知っていたのだろうか? 映画では、それをどうやって彼女に伝えようかと悩むことに多くの時間が割かれているが、ふと疑問に思った。「ああ、それは作品の謎のひとつですね」と答えるウィショーは、わざと曖昧にしようとしているわけではなく、あまり映画のネタばらしをしたくないのだ。それに、彼はなんであれ細かく限定されるのは好きじゃないんだろうな、という印象を受ける。

監督のホン・カオは『Lilting』が初監督作品で、かかった制作費は約2060万円だった。ウィショーが出演しており、ともに2012年に公開された大作映画『スカイフォール』そして『クラウド・アトラス』とは完全に真逆である。彼は、舞台、テレビドラマ、映画、低予算の作品、そして莫大な予算の大作と、いろいろ取り混ぜることを好むようだ。
「ええ、そのとおりです。そのほうがおもしろいですから。『Lilting』の制作にもっとお金があればよかったとは思いますが、本当の意味での独立性があったのは嬉しかったです。なんでも自分たちの好きなようにできましたしね。何人もの人々で構成された委員会によって作られるもののどれほど多いことか」とウィショーは首を横にふる。
彼のすべてが「アーティスト」であり「非商業的」だと訴えているが、そのカリスマ性と本物だという信頼が、大作映画のプロデューサーたちをも惹きつけるのだ。

『Lilting』には、超大作映画に見られるような特徴はいっさいない。ゲイ・カップルのラブストーリーであると同時に、ペイペイ・チェンが演じる中国人の母親と、ピーター・ボウルズが演じる70代の男性による老人たちのロマンスにもフォーカスが当てられている。いずれのストーリーラインにも大ヒットする要素はありませんよね、と問いかけると、ウィショーは笑った。「だんだんと変わってきているのかもしれません。とはいえ、一部のひとはこういうふうに考えるだろうな、というぼくの考えが当たっているとすれば、採算は取れないでしょうね」

高齢者の恋愛について、ウィショーが「たぶん、居心地悪く感じるひとが多いんですよね?」というので、高齢者が性的なふるまいをするのはゲイよりさらにタブー視されているんです、と返すと、彼は軽やかに笑った。これから公開される映画『Love Is Strange』では、主演のアルフレッド・モリーナとジョン・リスグローがゲイのカップルを、しかも年老いたゲイ・カップルを演じるんですと伝えると、「おやまあ」とやや大げさなしぐさでいう。「それはめずらしいですね。若くない男性ふたりの関係を描いた映画だなんて」
ウィショーが『Lilting』に惹きつけられたのは、それも理由のひとつだったのだろうか? ゲイの男性を演じられるということが。「そこに惹きつけられた、ということではないですね……まあ、はっきりと描かれていることそのものはいいなと思いますけれど。むしろ、脚本とその細やかな感性に惹かれました。とても親密で静かなところが好きだな、と」

ウィショーは途切れることなくシームレスに役から役へと移っていくが、いつでも前に演じたものとはまったく違う役を演じている。そしてそれは偶然などではなく、彼の選択によるものだ。「なにかを決めるとき、前とは違うことをすることに大きな意義があると思うんです」。

ウィショーは玄人受けする、役者に愛される役者だ。彼は演技の技量や役柄を作りあげる過程を大切にするし、それぞれの役から学んだことを大切にする。彼は、いわゆるセレブ俳優ではない。大ヒットした作品での役柄の鋳型を作り、あとは誰にも見向きされなくなるまでそれとそっくり同じような役を繰り返し演じ続け、もはや違うタイプの役を演じることが許されなくなり、危機的な状況に陥ってしまうような俳優ではない。彼らはもう俳優ではなく『演技もするセレブ』であり、自分をひとつの型にはめてしまった。ウィショーは、型にはめられたり、固定観念を持たれたりしたくないと考えている。

「自分の楽しみのためでもあるんです。いままで足を踏み入れたことのない領域に行き、前進している、役者として進化している、と感じられるので。ぼくは自分とはまったく異なるタイプの人間を演じることにより興味がありますが、そうした場合でも、自分のどこかになにか共通項を見つけないとならない。おかしなものですよね」

Qのなかに自分を見出すのは難しかったですか? と聞けば、彼は心から楽しげに笑った。「ええ、ぼくは本当にIT系に弱くて、コンピューターすら持ってないんですから。でも、あのキャラクターにはなにかとても魅力的なものがあったんです。チャーミングで、賢くて。ああいうタイプの作品……すごくたくさんの観客がいるような大作に、自分が出演することになって驚きました」

チャーミングだという部分を除けば、ウィショーはQのようではなく、むしろ『Lilting』のシャイで感情をあまり表に出すことのないリチャードと似ているように思える。「確かにシャイなところもありますが、本当にそうだというわけではありません。そうしてひとに言われたことについて、もっと克服できるようになろうと努めていますし」と語る彼は、ひとにどう思われるかを気にしているように感じられた。私は誰かに言われたからといって、こうして内気なのを直そうとするひとにほとんど会ったことがない。

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Part 2 に続きます〜!
インタビュアーさんの口調というか文章には独特の、とても素敵なリズムがあるので、なるべくそれを再現できるように訳してみたのですが……上手くいってるといいな。よりプライベートな部分に踏み込んでいる後半は週末にでもアップできるようにしますね!

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